人脈は、人望の結果である! by 千田琢哉

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世の中には、人脈の重要性を語る人は多い。
実際のところ、有名人と会ったことがある、とか、名刺を交換したことがある、といった類いの話も見受けられます。知っている、接点がある、ということを誇らしげにアピールされると、正直、引いてしまうことはないでしょうか。

では、人脈とは、いったい何なのだろう。どのような価値を生むのだろうかと見つめ直してみます。

人脈というのはあくまでも人望の結果であり、人脈が貧弱だと言うことは人望が薄いということ。ここに言い訳は必要ない。
人脈がすばらしいということは、人望が厚いということ。
ここに議論の余地はない。
では人望の厚い人というのはどんな人だろうか。
誰にでもいい顔をする人ではない。
反対だ。
身近な人を大切にする人が人望の厚い人だ。
仕事で言えば関わった人を大切にする。
この人と一生付き合っていこうと決めた人をとことん大切にする。”

たった1人との出逢いで人生が変わる人、10000人と出逢っても何も起きない人千田琢哉

人望の厚い人でなければ、真の人脈は築けないと、千田さんは、この1冊の中で、強く語りかけている。目の前の仕事、人に対して、全力で立ち向かわなければ、人望が獲得できず、人脈も作ることができないと断言している。

人脈を数で語ったところで意味がない。
SNSでの友人・知人の数を競いあうことに意味はないだろう。5000人の友達がいたとしても、本当に相手のことが理解でき、自分のことが分かってくれている人は、どれだけいるのだろうか。本当の意味で、自分のことを理解したり、共感してくれる関係性が築けているとは言えない。

友達の友達ぐらいの緩い関係が人脈として大切という話もあるが、土台となるのは、1対1の関係性の深さと濃さが基本になる。数ではなく、質や中身の部分を問うことが人脈については、私も重要だと思います。

“究極の人脈術というのは「去る者は追わず、来る者は拒まず」に集約される。
換言すれば
相手のほうから離れて行くのは勝手だけど、こちらからは関係を切らないというわけだ。こちらから関係を切らない限り、関係は一生繋がっていると考えていい。”

人脈を維持するのに必死な人を見ていると、頭が下がる反面、とても大変そうな印象しか残っていないような気がします。
相手に取って、自分が役立つ要素がなければ、去って行かれても仕方がない。無理にこちらから追いかけても、相手は振り向いてはくれない。恋愛と同じようなものかもしれません。

私は、学生時代の親友と、疎遠になって長くなる人物がいます。引っ越したり、携帯を変えたりして、すっかり音信不通です。あれほど、毎日のようにいろんな夢を語っていた彼が、今、どこで何をしているのか、さっぱりわかりません。たまに、ふと思い出して、寂しくなることもあるが、もし、必要性が生じれば、何らかの形でつながりが復活して、一緒に時を過ごしたり、何かを手伝うこともあるだろうと思っています。この例は、友達であって、人脈という関係性とは違うのかもしれません。

一緒に懇意に仕事をさせていただいた方であっても、役割やら、立場、状況などが変われば、疎遠にならざるえない場面も出てきます。
親友のケースと同様に、もし、一緒に楽しいことができる、きっかけや巡り合わせがあれば、嬉しいと感じる程度のものです。忘れた頃に、連絡が来ると嬉しいし、緩やかな関係としては、ソーシャルな世界で誕生日のお祝いメッセージぐらいが往来する程度でも満足できます。年賀状よりも気楽で、負担が感じられないので、最近、この緩い関係を個人的にはとても気に入っています。

来る者は拒みませんが、悪意や厳しい状況、たとえば、借金の無心などであれば、当然、拒む場合もあります。でも、新しく来る者に、興味は抱きます。私の何に期待して、お近寄りをされたいのかを、しっかりと聞きながら、負担にならない範囲で、一緒に楽しい関係を築ければ、幸福感が広がるでしょう。

相手に自分が寄って行く場合も、過度な期待はしないようにしています。相手が何かを自分の為にやってくれると強く思うと、結果として、残念な思いに至ってしまいます。少しでも、相手の役に立てることがあれば、自分の時間と知識、アイデアが提供できたら、素敵な展開が生まれるかもしれません。ここで生まれる「コラボ感」みたいなものが、人生をワクワクさせるものになれたら最高だと思います。

人望を感じてもらえる人間になるために、今、目の前のことに全力で取り組んでいきましょう。

千田琢哉さんの出逢い本